りんごの赤色はみんな同じに見えてるの?〜フッサールの考えに触れる〜

咲良のフィロソフィア

華恋
ねえ、これ見てよ!スーパーで見かけたんだけど、美味しそうだったから思わず買っちゃったわ
ほら、真っ赤に熟してて美味しそうなりんごでしょ?

咲良
わたしが皮剥いてあげるからかしてごらん
でもさ華恋、このりんごの赤色って、わたしが見えてる赤色と華恋が見てる赤色は同じなのかな?

華恋
なになに、それ
同じりんご見てるんだから同じ赤色に決まってるじゃん

咲良
たぶん、普通はそう思うよね
でも本当にそうなのかな、それを確かめる方法って無いのよね

華恋
いやいやいや、ちょっと待ってよ、なに言いだすのよ
そんなこと言われると急に変な感じしてきたんだけど
わたしたち見えてる色が違うかもしれないってこと言ってるの?

咲良
そういうことよ
わたしたちは同じものを見ているつもりでも、本当に見ているのは、自分に見えているだけの世界なのかもしれないのよ

華恋
え?ちょっと怖いこと言い始めた、咲良
それって、わたしが見てる世界と咲良が見てる世界は、同じとは限らないってことなの?
同じに決まってない?

咲良
決まっていそうで決まっていないのが面白いところなのね
普通、世界はひとつだって思って生きてるけど、その世界はいつも自分の感じ方や見え方を通してしか入ってこないのよ
そういうことを真面目に考えた人がいてね、フッサールっていう人よ
華恋
違う世界って、パラレルワールドのことかと思ったわ
それで、そのフットサル?って何者なの?
ん?フッサールなのね

咲良
フッサールという人はね、簡単にいうと、物事をすぐに見たままで決めつけたり説明したりする前に、まず自分にとってはどう見えているのかをじっくり考えようとした人かな
世界のことを語る前に、わたしたちが経験するもの自体を見直してみようとしたのね

華恋
経験とか言われると、なんか大袈裟な感じがするけど
要するにわたしたちが何かを見たときに、それが表面的なものだけしか見てないかもよってことなのかな

咲良
そうそう、たとえば誰かの一言を聞いたときにさ
なんか冷たい人だなって、思ったりすることあるよね
でもあとから、その人はたまたまその時疲れていただけだってわかることもあるでしょ
わたしたちは、相手そのものを見たというより、自分にはそう見えた姿を相手の姿だって判断しているのかもしれないよね

華恋
そういうことならよくわかるよ
SNSなんかでもそうだよね
写真とか短い文章だけ見て、この人はこういう人なんだなって決めつけたりするもんね

咲良
まさにそういうことなのね
わたしたちは、ちゃんと見ているつもりでも、結構思い込みで見たものを判断していることが多いのかもしれないわね
フッサールはそこを放置しないで、立ち止まって考えてみたのね
世界って何だろうとか、人間って何だろうなんて大きいことを言う前に、まずいま見えているものを、確実に見えていると判断しようとしたのね

華恋
それって、派手な考えじゃ無いと思うけど、大切なことだよね
なんか、いきなり答えを突きつけるんじゃなくて、まず自分がどう受け取っているのかを疑いながら確かめてみる感じかな

咲良
フッサールがいた時代はね、学問の世界でも、物事をきれいに説明することが大事にされていたのね
でもフッサールは、その説明を急ぐ前に、もっと先に確かめることがあるんじゃないかって考えたの
わたしたちは何かを見たときに、すぐに意味づけしたり、わかったつもりになったりするでしょう
でもその前に、いま自分には何がどう見えているのか、そこをちゃんと見直してみようとしたのね

華恋
なるほどね、りんごの赤色の話も、変なクイズじゃなかったんだ

咲良
それはそうよ
わたしたちは世界をそのまま正しく見てるつもりなんだけど、ほんとうは、世界そのものを見てるというより、自分にそう見えた世界を見てるだけなのかもしれないわね
フッサールの話はそう言うところから始まるのよ

華恋
なんかそうやって考えると、見えているものを全部信じ込むのは危なそうな気がしてきたわ

咲良
その感覚は、もうフッサールの世界に踏み込んだことになるわよ
フッサールのこの考え方のことを現象学と言うんだけど、次回はもう少しこの考え方を掘り下げてみようか

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