性善説ってそんなのありなの?〜孟子の思想と孔子の違い〜

華恋の温故知新は神

孟子の思想の根底にあったのは、人は信じられる存在なのか?
そういう問いだったみたいです
そして、孟子の思想全体は、人は生まれながらにして善であるという、性善説に集約されます
でもこれは、単なる楽観論ではなくて、人はどう生きるべきなのか、社会はどうあるべきなのかを、よく考えた上での現実的な答えだったようです

人というのは、利害関係やその場の感情に押し流される存在だけど、内面にはちゃんと正しい方向へ向かう力があるって孟子は考えました
だから、それを前提に希望を持って、当時の政治や教育を考えていったみたいです

今回のお話は、孟子がどういう人物であり、その思想の核心になる性善説や、前に書いた孔子や韓非子の思想との違いをわかりやすくまとめて、現代にどう繋がってきているのかを書いていきます

孟子とは何者なんでしょうか

孟子は孔子の思想を受け継いだ、儒家の思想家です
孔子の死後100年ほど経った頃の戦国時代に活躍した人です
もともと儒家というグループは、初めに孔子がその思想の基礎を作って、のちに孟子がそれを大きく発展させていったものだと考えられています
つまり孟子は、その儒家を完成形に近づけた存在だと言っていいと思います

孟子は、孔子が重視していた仁や礼といった儒教の考え方をベースとして、人とはどういう存在なのかという問いを結びつけて考えを深めていきました
その結果、孟子の考えは、人は本来生まれながらにして善を持つ存在であるという、性善説にたどり着きました

孟子のこの思想の特徴は、性善説という人間観を、道徳的な理想論に留めたのではなく、政治や社会のあり方にまで適応させようとしたところだと思います
人の本性を正しく掴んでおけば、そのまま国家全体のあり方にまで影響を与えるはずだという視点を持っていたわけです

孟子が生きた時代

孟子が活躍した戦国時代は、春秋時代のあと紀元前400年から250年あたりのことです
秦の始皇帝が出てきてこの時代は終わるわけでが、日本はやっと弥生時代が始まるかなってあたりの頃ですよ
ですから、小国が乱立してて、皆生き残りをかけてとにかく厳しい時代だったって想像できます

日本の戦国時代を思い浮かべると想像しやすいですが、それまでの秩序が崩れて力のある国が弱い国を吸収して巨大化していく
かたや内部の氾濫で大国が滅亡していくこともあったようです
だから、各国の君主たちはいかにして自国を強大にしていくのかを、必死で考えていた時代なんですね
当然の成り行きですが、理想論を語る者は軽視されて、即効性のある政策を考えることができる者の意見が通りやすい背景があったわけです

この時代には、韓非子のような、人は基本的に信用できない存在なので、法律と罰則で統制すべきだ!みたいな法家の思想も広がっていきました
まあ、この韓非子は儒家の孟子に続く荀子、性悪説を主張した人なんですけど、その人の影響を受けているので結構色々な思想が混ざってきてる感ありますけどね

どちらにしても、人は信用できる善なのか、それとも信用できない存在なのかという問題は、ただの哲学的な問題なのではなくて、国家運営に直接的に関わる大問題だったようです
ただ、孟子の言う、人は生まれながらにして善であるという考えは、理想論的な感覚が強いので、この時代の流れには逆らっていたんじゃないかって思います

性善説って具体的にはどういうものなの?

孟子の性善説は、人は生まれたときからずっと善人で、それがずっと続くなんていう意味じゃないですよ
本当は、誕生したときから人の中には、善に向かう素質が備わっているという考え方なんですね
誰かが困っているのを見かけたときに、思わず助けなきゃ!なんて思う気持ちありますよね、その自然に湧き起こる感情のことですね
孟子は、こういう感情を生まれたときから持っていて、それが人間の本性だって考えたわけです

でも、この人間の本性的なものは、放っておいても自然に育ち続けるわけではなくて、環境や受ける教育によって失なわれてしまう可能性もあるって考えました
だから孟子は、この本性を大切に育てていかなければいけないと考えました
つまり孟子の主張では、人は善であるといった断定的なものではなくて、善くなる力を持っているって言いたかったことになります

孔子との違いと儒家の発展

孟子の思想を理解したいって思ったときに、重要になってくるのは儒家をスタートさせた孔子との違いになると思います
孔子も、人間が道徳的に生きることや社会秩序を乱さないということを重視していました
ただ孔子は、人間が善なんてことは言ったことがありません
論語にもそんな下りはありませんからね

孔子は善悪というよりも、人が人としてどう振る舞うべきなのかってことに焦点を当てていたようです
孟子は孔子の後に出てきた人だから、当然孔子の考えは知っていたと思います
だから、さらに踏み込んで、孔子が言わなかった、人間の本質というか、本性に迫るところまで考えていったんですね

こういう孔子と孟子の考え方の違いや、のちに儒家の一人として出てくる荀子、性悪論の人ですけど、そういう様々な違いを持ちながら、儒家の思想は人の内面へと深まっていったのだと思います
はじめは外見的な道徳遵守から始まったようですが、徐々に内面的なものを追求する方向へと思想は変化していったということになります

人は信じるべきなのか

ちょっと儒家の外に出て、他の世界の人の考えと比べてみましょう
当時、結構勢いのあった韓非子の思想ですが、なかなか孟子とは対照的な考え方をしていたようです
友だちにはしたくないような考えの持ち主なんですが、韓非子は人間のことを、こんな感じで考えていました

人というものは基本的に利己的であって、信用することなんか出来ない存在なんだよね!
だから、厳しい法律を定めて、違反者にはちゃんと罰則を与えて、きっちり社会を管理していく必要があるんじゃないの!
信用して甘やかすなんておかしいよね!

こんな感じですよ、韓非子には友だちとか居たんでしょうか
孟子とは全く逆の意見で、ちょっと冷酷すぎるような気もしますよ
孟子は人の内側に初めからある善という本性を信じていました
でも韓非子は、人は弱くて欲望に動かされてしまうのが普通だって思っていました

どちらも正しそうなんですが、そうでもない感じもします
多分、人に対する見方が全く違うからでしょうね
こういう違いは、そのまま社会の作り方にも影響を及ぼしそうですね人を信じて育てていくのか、それとも疑いまくって管理体制で行くのか
現代社会でも、この二つの方向性は常に考えられているんではないでしょうか

現代社会ではどうなんでしょうか

孟子の性善説は、現代社会においてでも人間関係や教育のあり方、働き方への考え方にも応用できると思います
例えば、会社で同僚や部下に対して、この人はどうせ出来ないからしょうがないとか、言っても無駄なんじゃないかな?なんて思うことあるかもしれないよね
そこをさ、今は出来てないけど、本当はできる力もあるし、うまく伝えたら話だって聞き入れてくれるんじゃないかな?
そういう風に考えたら、相手への接し方だってかなり変わってくるんじゃないかと思うよ

自分自身にとっても同じ事が言えるんじゃないかな
人が本来善を持っていて、それを育んでいく存在なんだとしたら、自分の中にもそういうものがあって、可能性なんかを信じることにつながるんじゃないかと思うよ

もちろん現実的な社会では、裏切りだってあるし、利害関係で衝突しちゃうことだって多々あるよね
だからこそ、この孟子の思想は単純な理想論として片付けるんじゃなくて、自分も含めて人とどうやって関わっていくのかっていう、態度や姿勢の問題として読み解く事ができるんじゃないかって思っています

まとめ

孟子の思想は、人は信じられる存在なのかって問われたら、明確に信じるべきだよね!って答えてると思います
でもそれは、何もかも受け入れる無条件的な楽観視から出た言葉ではなくて、人の中にある善という本性を、どう育てていくのかっていう視点から滲みでた言葉ではないかって思います

孔子からスタートした儒家の思想は、孟子によって人の内面へと深く入り込み、韓非子のような当時の現実主義的な思想と対比されることによって、より立体的に理解されていくものではないかって思います
人をどう見るかは、そのまま社会の構造にもつながっていくものです
だからこそ、この孟子の思想は、現代社会でも無視することはできず、十分に意味を持つものではないかなって思います

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