無為自然ってさ、現実逃避じゃないの?

華恋の温故知新は神

ここまでさ、老子の話してきたよね
無為自然って何?ってところから始まって
水みたいに生きるって話まで来た
でもさ、ここで何か怪しげな疑問点が出てこない?
そんなんで社会うまくいくの?ってね
何もしない、争わない、力を抜く、こんな感じだったよね

でもそれってさ、現実から逃げてるだけじゃないの?って思うよね
たぶん一番よくある疑問だと思うよ
でもね、実は老子の言ってることって割と誤解されがちなんよ
無為自然の無為って何もしないって意味じゃなくて、余計なことをしないっていうのが本当の意味だよ

じゃあその余計なことって何なのかっていうとね、人はさ無理に勝とうとしたり、無理に上に行こうとすることあると思うのね
無理に自分をコントロールしようとするのかな
これは全部人が後から作り出した動きなんよ
でもそれが強くなりすぎると、競争が激しくなって人は疲れ果て、社会も歪んでいく
老子はそこの危うさを見てたんだと思うよ

だから、ちょっと力抜けよって言うし、自然の流れに任せろって言う
これはね、別に何もしなくていいって話じゃなくて、ちゃんと生きる為にも無理にねじ曲げない、無理に押し通さない、無理に勝とうとしない
そういう生き方が大切なんだって言ってたわけね

流水ってさ他の流れに逆らわないよね、でもちゃんと前には進んでる
しかも、気づいたら地面や岩すら削ってる
だから老子の考え方っていうのは、弱くなれって話じゃない、力みすぎるなって話なんだよね

今の社会生活の中でよく聞く言葉は、効率、成果、競争あたりかな
こういう言葉がすごく強くて重視されてる
もちろん、それ自体は悪くないんだけど
それだけで走り続けると、きっとどこかで無理が出ると思う
だからこそ、水みたいな考え方がちょっと必要なんじゃないかなって思う

争わなくてもいいし、無理に上に行かなくてもいい
それでもでもちゃんと進んでいくから
こういうのも一つの強さだと老子はたぶん考えて、そういう世界を見てた
派手じゃないしバズる感じでもない
でも、一番崩れにくい生き方なのかもしれないわ

ここまで読んでみて、無為自然ってただのサボりじゃないって、少しは見えたんじゃないかな
本当の強さっていうのはさ、意外とわたしたちが思ってる形ではないのかもしれないね

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