深谷でねぎそばを食べて
道の駅で山ほど並んでた渋沢栄一のグッズを見て
一万円札の人だよね、くらいの認識から始まった論語の話もそろそろ終わりです
でもさ、渋沢栄一ってただ会社をたくさん作った人
ってだけじゃないと思うんだよね
彼がやろうとしたのは利益と道徳を切り離さないこと
いわゆる「論語とそろばん」
渋沢さんの著作のことだよね
正直に言うと会社に論語って
理想論すぎない?って思う人もいると思う
会社は利潤を追求する場所、利益を出さないと続かない
それは現実だよね
でもさ、アクセルだけしかない車って怖くない?
スピードは出るけど止まれない
会社も同じことで利益追求はアクセル
でも信用がなければどこかで事故る
不祥事、粉飾決済、炎上
一瞬で崩れるよ、それは歴史が語ってる
たとえば、第一国立銀行から始まった渋沢さんの金融企業の流れは
今の金融機関にもつながっている
その一つがみずほ銀行
巨大な金融機関が回っているのは、目に見えない信用があるから
信用っていうのは、自分がされたら嫌なことをしないこと
つまり、仁そのもの
そしてその中身である、恕の考え方
ここが最低条件なんじゃないかなって思うわ

孔子は理想国家を描いた人
全部は実現しなかったけど、 その思想は残ったよ
企業も同じで、完璧な道徳企業なんてない
でもその方向を持っているかどうかで未来は変わる
利潤追求がアクセルなら、仁と恕はブレーキ
どちらもなければ会社は社会を走れない
論語が二千年以上残った理由は
理想だったからじゃなくて
暴走しないための思想だったからじゃないかな
深谷のねぎそばから始まった論語は
意外と今の社会の足元にも
ちゃんと置かれてるのかもしれない


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