マンボは、昔の南米の陽気なダンス音楽として名前だけは知っている人も多いかもしれません
けれど実際には、1940年代にキューバ音楽とアメリカのビッグバンド感覚が混じり合う中で広がり、1950年代には世界的な人気を得た、かなり勢いのある音楽でした
日本でも1955年前後に大きなブームが起こり、1956年にはペレス・プラード楽団が初来日して、歌謡曲や日本のラテンバンドの世界にも深く入り込んでいます
つまりマンボは、遠い国の昔の流行ではなく、昭和の日本の大衆文化にも、かなりはっきり足跡を残した音楽だったんですね 
しかも面白いのは、その流れがそこで終わっていないことです
戦後の日本では東京キューバンボーイズがラテン音楽の大きな受け皿になり、かなり後の時代には東京パノラママンボボーイズのように、昭和のマンボやラテン歌謡を平成の感覚で表現し直すグループまで現れました
だからマンボは、古いレコード棚の中だけに閉じこもっている音楽ではなく、日本の中で何度か姿を変えながら生き延びてきた音楽として見た方が面白いと思います 
この記事では、マンボとはどんな音楽なのか、どこで生まれ、なぜ1950年代に流行したのか、日本にはいつごろ入ってきて、どのくらい受け入れられたのか、そして今の日本でどこから触れればよいのかまでをまとめてみます
マンボとはどんな音楽か
マンボは、キューバ系のリズムを土台にしながら、打楽器の刻みとホーン隊の押し出しを強く前に出したダンス音楽です
具体的に言えば、コンガやボンゴ、ティンバレスの細かいリズムの上に、トランペットやサックスが短く鋭いフレーズを重ねて、会場の空気を一気に明るくする音ですね
静かに背景で流れているというより、人が集まる場所で鳴り始めると、場の温度が一段上がるような、そういう種類の音楽です
よくラテン音楽という大きなくくりでまとめられますが、マンボはその中でもかなり輪郭がはっきりしています
南国っぽいとか、なんとなく陽気という曖昧な言葉だけでは足りなくて、もっと実際の音に近づけて言うなら、リズムの区切りが明確で、ホーンのキメが多く、身体を動かすきっかけが分かりやすい音です
だから、初めて聴く人でも、音楽的な知識より先に、勢いのある明るさが耳に入ってきてしまうんですね
マンボは特殊なリズムなどが多用された難解な音楽ではありませんでした
複雑そうな理屈や歴史を知らなくても、まずリズムがはっきりしていて、次にホーンが派手目で、全体的に景気の良い感じが伝わってきます
この順番で耳に入ってくるからこそ、1950年代に広い年齢層へ届く力を持っていたのだと思います
後で歴史を知るのも楽しいのですが、入口としては、まず元気のいいビッグバンド系ラテン音楽として判断しておくのがいちばん自然かもしれません
マンボはいつどこで生まれたのか
マンボが広く知られるようになるのは1940年代です
マンボは1940年代に、キューバのソンとスウィングの結びつきの中で発展し、世に広く知られるようになっていきました
つまりマンボは、もともとのキューバ音楽の流れに、アメリカのダンスホールやビッグバンドの感覚が重なって、大きな会場でも映える形になっていった音楽と考えるとイメージしやすいですね 
そして、その名前を世界的に有名にした人物として外せないのが、ダマソ・ペレス・プラードです
ペレス・プラードは、ただ演奏がうまいとか、人気があったというだけではなく、マンボという音楽形態そのものを国際的なポピュラー音楽として印象づけた存在でした
ホーンの切れ味、リズムの勢い、そしてショーとしての見せ方をまとめあげる力が強く、マンボの王様と呼ばれるのも納得できる人物です 
ここで押さえておきたいことは、マンボが最初からかなり開かれた音楽だったことです
あとから研究者だけが掘り起こすような閉じた伝統音楽ではなく、その時代の人たちがダンスホールや劇場やクラブで実際に楽しむための音楽として育っていきました
今あらためて聴いても、音の押し出しの強さや会場向きの派手さが伝わってくるわけです

マンボはなぜ1950年代に流行したのか
マンボの全盛期は1950年代です
なぜそこまで広がったのかというと、理由は案外はっきりしています
音が派手で分かりやすかったことと、1950年代の娯楽空間と相性が良かったということです
この時代は、ダンスホール、映画、ラジオ番組、ナイトクラブなど、人が同じ場所で音楽を共有する場が今よりずっと沢山ありました
マンボは、そうした場所で演奏されると本領を発揮する音楽です
家で静かに味わうというより、人が集まっていて、身体が動かせる場所でこそ生きる音楽だったわけです
さらに、演奏そのものがショーになることも大きかったと思います
ホーン隊が並び、打楽器が前に出て、バンドリーダーの動きも含めて、ステージ全体が見世物として成立する
今で言えば、音だけでなく、空間まるごとで雰囲気を作るタイプの音楽ですね
だからレコードで聴いても楽しいのですが、本来は会場の熱を伴ってこそ映える
その性格が1950年代の大衆娯楽とよく噛み合っていました
その後チャチャチャがマンボに代わって広がったとも言われています
これはマンボがラテンのダンス音楽の勢いを作っていたということでもあります
ラテン音楽と聞いて、一般の人が華やかさや踊りの熱気を思い浮かべる、その入口の大きな部分をマンボが作ったと見てよいと思います 
マンボは日本でいつ流行したのか
日本でマンボの人気がはっきりしてきたのは1955年前後です
ニッポン放送の記事でも、日本でマンボ・ブームが盛り上がったのは1955年前後で、1956年にはペレス・プラード楽団が初来日したとまとめられています
この1955年から1956年あたりを軸にすると、日本でのマンボ受容の流れがかなり分かりやすく見えてきます 
戦後の日本では、ジャズやラテン音楽への関心が徐々に高まりつつありました
そこへマンボの明るさと派手さが入ってきたわけですから、受け入れられやすかったのも当然かもしれません
当時の人たちにとって、マンボは単なる外国音楽ではなく、新しい時代の幕開け的な気分と結びついた娯楽だったのでしょう
戦後の街が少しずつ活気を取り戻していく空気とも、かなり相性がよかったはずです
1956年のペレス・プラード楽団初来日は、その空気を決定的に押し広げた出来事でした
海外の大物楽団が実際に日本で演奏するというのは、それ自体が大きな話題ですし、レコードやラジオだけでは伝わりきらない迫力を、実演として見せつけたという意味もありました
来日公演は、マンボがただの流行語ではなく、本物の熱気を伴った音楽であることを、日本の観客に強く印象づけた出来事だったと思います 
しかも日本では、マンボは洋楽ファンだけのものにとどまりませんでした
映画、歌謡曲、舞台など、もっと広い大衆芸能の世界に入り込んでいったんですね
日本でのマンボは、輸入された原型がそのまま愛好家の中だけで聴かれたのではなく、さまざまな手法でアレンジされ、日本語の歌、日本のショー、日本の楽団によって、新しい娯楽として吸収されていったわけです
日本のマンボ人気を支えた歌手やバンド
日本でのマンボ人気を語るなら、まずアーティストの名前をきちんと挙げた方が流れがつかみやすいですね
代表的な人は、江利チエミ、雪村いづみ、美空ひばりあたりでしょうか
江利チエミの「パパはマンボがお好き」、雪村いづみの「マンボ・イタリアーノ」、そして美空ひばりの「お祭りマンボ」などは大ヒットし、マンボという音楽とそのノリを広く世間に知らしめたようです
このあたりを見て分かるのは、日本ではマンボがそのままの形で輸入されただけではなく、日本語の歌としても成立していたことです
たとえば「お祭りマンボ」は、海外マンボの厳密な再現というより、日本の歌謡エンターテインメントの中にマンボのリズムと音を取り込んだ代表例として見ると面白いですね
つまり日本のマンボ熱は、原典への忠実さだけで測るものではなく、昭和の大衆文化がどれだけうまく吸収して自分たちのものにしたか、という視点で見ると味わい深さが出てきます
そして、ビッグバンドで外せないのが東京キューバンボーイズです
東京キューバンボーイズは1949年に見砂直照によって創立されました
戦後日本におけるラテン・ビッグバンドの中心的存在であり、マンボを含むラテン音楽を、単発の流行ではなく、演奏文化として根づかせることに大きな役割を果たしました 
東京キューバンボーイズの存在が大きいのは、マンボが歌だけで流行したのではなく、楽団の文化としても育っていったことを示しているからです
ラテンのリズムをきちんと鳴らせる大編成バンドがあり、ショーとして成立する場所がある
そうした土台があったからこそ、マンボは日本で一時的な珍しさに終わらず、昭和の音楽文化の中に残ることができたのだと思います
現代の日本でマンボを聴くならどこから入るか
今の日本で、マンボが1950年代のような大流行ジャンルだとは言えません
さすがに、今の若い世代が日常的にマンボを聴いている、という状況ではないでしょう
けれど、だからといって完全に消えたわけでもありません
東京キューバンボーイズの公式サイトには現在も公演情報が掲載されていて、日本のラテン・ビッグバンドの流れが今も続いていることが分かります 
入口として分かりやすいのは、大きく二つあります
ひとつは、1950年代の代表的なマンボや、その時代の日本のマンボ歌謡を聴いて、当時の熱気をそのまま味わうこと
もうひとつは、後の時代に日本で生まれた再解釈を聴いて、マンボが現代へどう接続されたのかを見ることです
前者なら、まずペレス・プラード楽団です
マンボという言葉の派手さや、ホーンの景気よさを感じるには、やはり王道の入口ですし、日本でのブームを考える時にも避けて通れません
代表曲のマンボNo.5などはどこかで聴いたことがあるのではないでしょうか
そこから、日本の歌謡曲に移って、江利チエミ、雪村いづみ、美空ひばりへ入っていくと、日本でマンボがどう翻訳されたのかが見えてきます
さらに、東京キューバンボーイズへ進むと、歌だけではない、日本の演奏文化としてのラテン音楽が見えてきます
こういう順番で聴いていくと、マンボが外国の珍しい音楽ではなく、日本の昭和の娯楽の中でしっかり息づいていたことが分かります
映画館や劇場、テレビやレコードの時代に、この音楽がどう聴かれていたのかを想像しながら聴くと、ただ古いだけではなく、当時のかなり生き生きとした感じが想像できると思います
東京パノラママンボボーイズが面白い理由
そして、わたしがお勧めしたいのが、東京パノラママンボボーイズです
このグループは、1950年代のマンボを原典として伝承していった存在ではなく、もっと都会的で、もっと遊び心のある形で、昭和のマンボやラテン歌謡を平成に持ち込んだところが面白いですね昔のマンボをそのまま掘り起こして確認するだけではなく、日本の中でどう再解釈されたかまで見たい人には、とてもいい入口になると思います
東京パノラママンボボーイズは1980年代末に、コモエスタ八重樫、パラダイス山元、ゴンザレス鈴木らによって、DJ+パーカッションという編成で活動を始めました
そして1991年に『マンボ天国』でテイチクからデビューしています
続けて、1992年に『マンボスパイ2』『マンボスパイ1』とヒットアルバムを出しています 

このグループの魅力は、マンボを懐メロとして扱わなかったところです
クラブ文化の感覚、レトロ趣味、ラテンの明るさ、少しコミカルな演出、それに都市的なセンスを混ぜながら、昭和のマンボを平成の遊びとして再構成していきました
古い音楽をただ懐かしむのではなく、いまやっても楽しいものとして再提示したところに面白みがあると思います 
まとめ
マンボは、1940年代にキューバ音楽とスウィングの結びつきの中で発展し、ペレス・プラードによって世界的に知られるようになったラテン系ダンス音楽です
1950年代に全盛期を迎え、日本では1955年前後にブームが盛り上がり、1956年のペレス・プラード楽団初来日をひとつの節目として、広く受け入れられました
日本では、江利チエミの「パパはマンボがお好き」、雪村いづみの「マンボ・イタリアーノ」、美空ひばりの「お祭りマンボ」などを通じて、マンボは歌謡曲の世界にも入り込みました
さらに、1949年創立の東京キューバンボーイズが、ラテン・ビッグバンドの文化を支え、日本の中でマンボを演奏文化として根づかせていきました 
そして今の日本では、マンボが大衆のど真ん中にあるわけではありませんが、その火は消えていません
東京キューバンボーイズの活動は続いていますし、東京パノラママンボボーイズのように、昭和のマンボを平成の感覚で甦らせた例もあります
昔の音楽と聞くと遠く古臭く感じるかもしれませんが、マンボは、リズムが明快で、ホーンが派手で、場の空気を明るくする力がある音楽です
まずは何か一曲聴いてみませんか
なるほどこういう元気さだったのかと、実感しやすいジャンルの音楽だと分かりますよ


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