レコード棚を眺めていると、時々時代の流れが見えてくることがあります
前回はドイツのクラフトワークの話を書きました
電子音そのものを音楽の中心に置いた、とても不思議なグループです
その音はやがて世界に広がり、新しい音楽の流れを作っていきました
そしてその波は、日本にも届いていました
1970年代の終わり頃、日本ではまだロックや歌謡曲が音楽の中心でした
ギターが鳴り、ドラムが叩かれ、バンドが演奏するのが当たり前の時代です
けれど、日本にシンセサイザーという楽器が紹介されたのは、もう少し前のことでした
シンセサイザーの第一人者としてよく挙げられるのが、冨田勲です
1970年代、冨田勲はモーグ・シンセサイザーを使い、クラシック音楽を電子音で再構成するというとてもユニークな試みをはじめ、様々な作品を作りました
デビューアルバム「月の光」は、ドビュッシーの音楽をシンセサイザーで表現した作品として海外でも大きな注目を集めることになります
でもこの音楽は、いわゆるテクノとは少し違う方向に進んでいきまし。
電子音を使いながらも、どこか宇宙的で幻想的な世界
この流れは、後に喜多郎などのニューエイジ系の音楽にもつながっていくことになります
そして1970年代の終わり、突然、少し変わった音楽が現れました
シンセサイザーの電子音に、機械のように正確なリズム
そしてどこか近未来的な雰囲気
イエロー・マジック・オーケストラ、つまりYMOの登場です
1979年に発表された「テクノポリス」
当時これをずいぶん変わった音楽だと思った人も多かったのではないでしょうか

当時の日本では、シンセサイザーそのものがまだ珍しい楽器です、それが音楽の中心に置かれている
まるでコンピューターが演奏しているような聞いたことのない音楽
そんな印象だったと思います
ところで、今では当たり前のように使われている「テクノ」という言葉、この言葉が音楽のジャンルとして広く使われ始めたのは、1980年代に入ってからのことでした
もともとは「テクノロジー」という言葉から来ているものですが、電子楽器やコンピューターを使った音楽を表す言葉として少しずつ広がっていきます
YMOのアルバムには「テクノポリス」や「テクノデリック」といったタイトルもあり、日本ではこの頃から「テクノ」という言葉が音楽のイメージと結びついていったように思います
もちろんその背景には、クラフトワークの影響がありました
けれど日本のテクノは、少し違う方向に広がっていきます、ポップで少しユーモラスでどこか軽やかな雰囲気
スネークマンショーなどのコントと混ざり合いながら、音楽と遊び心が一緒になっていきました
そして同じ頃、日本にはもう一つ別のテクノの流れもありました
ヒカシューやプラスチックスといったニューウェーブのバンドです
こちらはもう少し実験的で、少し不思議な世界観
けれどその根底には、やはりクラフトワークから続く電子音の発想がありました
1970年代のドイツで生まれた電子の音が、1980年代の日本で、思いがけない形で花開いたのです
次回は、この日本のテクノの周辺に広がっていた音楽であるニューウェーブの流れについて、もう少しレコード棚を探してみたいと思います


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