タンゴとは何者なのか 情熱の裏にある孤独

咲良の音楽余話

今日は棚からこのレコードを取り出して針を落としています
少しだけ時間を巻き戻したくなる朝があります

窓の外には穏やかな海
風もなく空はどこまでも青い
こんな静かな景色の中でなぜか選んだのはタンゴでした

タンゴと聞いて 何を思い浮かべるでしょうか
赤い薔薇 情熱的なダンス 激しく絡み合う男女
けれど アルゼンチンタンゴの始まりは もっと土の匂いのするものでした

棚から持ち出した一枚はアルフレッド・ハウゼ
碧空や 真珠採りのタンゴといった曲名が並んでいます
海を見ながら聴くには 不思議なくらい似合ってしまう

十九世紀末 ブエノスアイレスの港町
ヨーロッパから渡ってきた移民たちが 仕事を求めて集まりました
言葉も文化も違う者同士が混ざり合いながら暮らす街
そこには希望と同じくらいの孤独がありました

男たちは港で働き 夜は酒場に流れ込みます
故郷を遠く離れた寂しさ
戻れない時間への郷愁
その感情が 音になって滲み出したのがタンゴでした

中心にあるのはバンドネオンという楽器
蛇腹を押し引きするたびに 切なく震える音が生まれます
あの響きは 情熱というよりも 胸の奥を掴むような哀しみ

やがてタンゴはダンス音楽として黄金時代を迎えます
洗練され 都会的になり 海を越えてヨーロッパへ渡りました
そして再び形を変えながら 世界中で演奏される音楽になります

私の棚にある一枚も その長い旅路の途中で生まれた音
アルゼンチンの港の湿った空気が ヨーロッパのホールを経由し
遠い日本の喫茶店に流れ着いた音楽

静かな朝の海を眺めながら 聴いていると
この穏やかな青さの向こうに もう一つの港町が重なります
碧い空の下で それぞれの人生を背負った人々が踊っている

タンゴは情熱の音楽だと言われます
けれど 私には 失われたものを抱えた人のための音楽に聴こえます

今日の海が穏やかであるほど
その奥にある深い流れを想像してしまう

タンゴとは何者なのか
それは遠い港から届いた 郷愁のリズムなのかもしれません

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